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200m背泳ぎが五輪の舞台に再登場した1964年の東京五輪頃から背泳ぎは、力から技の時代に突入した。
1968年以降、1970年代半ば過ぎまで、世界の第一線で活躍したのは、ローランド・マッテス(Roland Mattes、東独)であった。マッテスの泳ぎは、背泳ぎフォームの一つのピークと称賛され、当時の世界記録を58秒4で初めて更新すると、56秒3まで短縮した。その記録は、モントリオール五輪まで保持した。その大幅な記録短縮と長期間におよぶ記録の保持は、以下にあげるような長所が生み出したとされる。
?@腕は、できるだけ伸ばした状態で入水する。
?Aストローク中に、肘が90度に曲がる。
?B手の平がこれからかこうとする方向に向いている。
特に、?@?Aからマッテスの泳ぎが、たいへんローリング技術に優れていたと推察できる。通常、入水時に手を極力前方へ伸ばすと、膝下が不必要な動きをしたり、腰掛け姿勢のようになってしまいがちだが、マッテスの場合は、キックと素晴らしいボディポジションでそれを防いだ。肘を90度に曲げてのストロークは、これまでの腕を伸展した状態でのストロークに比べ、より力が発揮できたことが明らかである。マッテスの泳ぎは、ローリングの巧みさに加え、充分なパワー出力もなされていたことになり、力+テクニックの時代へとステージを上げた。背泳ぎの技術史を語る上で、最も大きな足跡を残した選手の一人となった。
背泳ぎフォームに最初に4ビート泳法を持ち込んだのは、マッテスとほぼ同時代に、200m背泳ぎで世界記録を更新したマイク・スタム(Mike Stamm、米)であった。この当時、クロール泳の中・長距離選手に4ビートで泳ぐ選手が現れ、好記録を上げた。その影響からか、スタムは背泳ぎでは珍しい4ビート泳者となった。このスタムは常にマッテスの後塵を拝す格好になったが、ストロークの効率の良さでは定評があった。
マッテスやスタムに代表されるようにこの時代には、すでにクロール泳のS字ブルを杖にした横S字ブルは、世界の一流選手の間で獲得され、理論的にもカウンシルマン(Coounsilman)博士らによって提唱されていた(図4)。
マッテスの世界記録を更新したのは、ジョン・ネーバーであった。1976年モントリオール五輪で100mは55秒前半、200mは2分の壁を突破し、驚異的な記録を作った。それらの記録は1983年にリック・ケアリー(Rick Carey、米)に破られるまで保持した。ネーバーの泳ぎは、ダイナミックでかつ細かなテクニックを強調した泳ぎであった。具体的には、
?@入水は、小指を下にして行う。
?A手首のスナップを十分に効かせたフィニッシュ動作。

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図4 カウンシルマン博士が提唱したバックストロークのフォームCompetitive Swimming Manualより

 

 

 

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